山靴の足あと ある企業経営者の日本百名山単独行・山日記
「日本百名山」を単独行踏破し、「山は命がけの遊び」と語るあるエクゼクティブの山日記・エッセイ集。
山頂から眺めるご来光や、満天の星空などなどの山の魅力や、山歩きの醍醐味とともに、企業経営者としての経営哲学、あるいは危機管理についての卓見が随所に語られています。
曰く「山は瞬時に命を奪うが、事業は徐々に奪う、すべて自己責任……」と。
ジャズなど共通の趣味の多いジャーナリストの木村太郎氏も、この本を激賞されています。
ある企業経営者の日本百名山単独行・山日記
企業経営者である筆者が、深田久弥氏によって有名になった「日本百名山」をすべて単独行で踏破した山日記の抜粋です。
一般的には、単独行登山は危険といわれていますが、あくまで自己責任の原則のもと周到な準備をおこない、チャレンジした足跡を、いくつか抜粋しています。
そこには企業経営に共通する危機管理に対する経営者の思いも綴られています。
・南の島の雪の山・ハワイ島のマウナケア
ホテル予約なし、テント担いでのユニークなハワイ紀行です。
・息子と二人のニセコアンヌプリ
子息との交流に企業経営後継者への思いを秘めて……。
・我がホームグランド「小女郎谷」(山ャのエッセイ)
近所の丘歩きから、やがて日本百名山完登の「山ャ」に育ててくれたホームグランド「比良・小女郎谷」の自然への憧憬と、そこに育まれる哲学を記したエッセイ集。
著者 | 御沓知克 |
監修 | – |
発行 | GCNS |
定価 | 1,760円 (本体1,600円+税 10%) |
情報 |
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御沓知克(おくつともかつ)
本名 塚本嗣郎(つかもと つぐお)
1935年(昭和10年)11月21日生
出生地 静岡県駿東郡小山町生土72
株式会社ガスクッカー 代表取締役社長
1958年(昭和33年)立命館大学文学部地理学科卒業
(在学中、クラブ活動として4年間「立命館大学新聞」の編集に携わる)
同年4月 株式会社武蔵野製作所 入社
1962年(昭和37年) 武良美由紀と結婚
2002年(平成14年) 同社 代表取締役社長に就任
2006年(平成18年) 株式会社ガスクッカーに社名変更、現在に至る
【山の略歴】
1972年(昭和47年)奈良へ移住、丘歩きを始める
1973年(昭和48年)琵琶湖の西、比良山の小女郎谷(標高1100m)に登る。以後この地は生涯のホームグランドとなる
1978年(昭和53年)白馬大雪渓から白馬岳へ、初めて北アルプスへ入り、後立山連峰・槍・ 穂高連峰を縦走
1992年(平成4年) ハワイ島のマウナ・ケアに単独登頂
1999年(平成11年)ヒマラヤのエレベスト街道をカラパタールまでトレッキング(2月24日から3月14日)
1999年11月 屋久島の宮之浦岳を最後に、日本百名山を単独行で完登